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令和元年ごあいさつ

令和 初春の令月ににして 氣淑く風和ぐ』
令和元年5月1日 津軽新報令和元年特集号掲載

ごあいさつ

 東天書道会は令和2年(2020年)創立60周年を迎えることになります。創立以来『日本全国誰が見ても健康で美しい書道教育』を指導趣向として、県内を始め全国の有名教育書道展に出品し、会員レベル向上を願い、創立以来全国展では弘法大師賞・大臣賞など260個以上受賞しました。東天書道会の今日は、初代会長である父東天の指導が根底にあります。青森の教え子が全国に認められる書を書く事が東天の理想でした。
 
 東天は当初から教育書を志していたわけではありませんでした。書道会の開室前、東天は全国の10誌の競書雑誌に毎月60枚の競書作品を送っており、自分の書を追求していました。
 
 きっかけは私の姉が小学校に入学したころ、父が姉に書を指導し、それを近所の同級生が見たことです。その子は習字を書きたいと親に願い、父は教えました。またそれを見た子供達が習字を書きたいと願ったため、父は子供達に指導せざるを得なくなったのです。
 
 書道会の開室について、当時は多くの書道仲間に反対されたそうです。『子供たちに書を指導すると自分の書の時間が無くなるからやめた方が良い』と言うのが理由でした。そのことを父は重々わかっていたと思います。しかし、習字を書きたいという自分の娘と同じくらいの子供達を無下にすることはできなかったのでしょう。昭和35年、東天書道会を開室し、本格的に教育書を開始しました。
 
 開室後、東天は精力的に指導し、『JA共済書道コンクール』への出展や、『明治神宮の新春書道展』、『日本武道館の書初め大会』等全国の書道展への応募を重ねてゆきました。当時から明治神宮や日本武道館の授賞式に青森から子どもたちを引率していくことは、大変なことであったと思います。しかし、頑張れば東京に行けるということで、子どもたちと保護者が一生懸命に書に取り組んだ結果、子どもたちはどんどん上達し今日に繋がる教育書としての東天書道会の形が出来上がりました。
 
 東天書道会が大きくなるにつれて、東天は自身の書に割く時間がなくなってゆき、ついに自分の書を諦め、教育書に人生を捧げるようになりました。私が帰郷したのはその頃です。私も東天と共に生徒を指導するようになりましたが、帰郷して3年で会員はさらに増加し、私自身も自分の書はとてもではないが書く事が出来なくなりました。
 
 突如東天が芸術に目覚めて、古い字体と新しい字体を融合させた独自の書を『古今体書』と命名したのは還暦を迎えた頃です。『古今体書』の発表後はヨーロッパを始め中国・タイ・ロシア・アメリカ・キューバ等10か国以上の美術展に出展する事になりました。東天の情熱は芸術書に移ってゆき、私が東天書道会を指導していくようになりました。東天は89歳で亡くなり、今年東天の7回忌を執り行いました。 
 
 令和の新時代を迎えた今日も東天書道会の理想は変わっておりません。『日本全国誰が見ても健康で美しい書道教育』を指導趣向とし、より広めるため、青森県の子どもたちだけではなく、教室に通えない遠方の子どもたちや指導者の方々へ教育書の指導を行っています。

(令和元年 佐々木天道)